グッドバイ ミスターバックハンド タウフィック・ヒダヤット引退
今年の自国で開催されるインドネシアオープンを最後に引退を表明していたタウフィック・ヒダヤット(32歳)は、6月12日一回戦の相手であるSai Praneeth(インド)に1-2で敗れ、18年にも及ぶのプロ選手生活に終止符をうった。
今大会、ピーター・ゲードを欠いたバドミントン界の四天王(リン・ダン、リー・チョンウェイ、タウフィック・ヒダヤット)は、綺麗にトーナメントブロックに集まった。まるで引退セレモニーのために神様が仕組んだかのようだった。初戦の相手はリンダン、そして2回戦ではリーチョンウェイとあたる。誰もがその最後の対決を望んでいた。
しかしリンダンはまたしても棄権し対決は実現しなかった。(リンダンは昨年五輪以降、一切の公式戦を棄権しており、いい状態ではなかったのは事実だろうが、やはり二人の間には埋まらない何かがあると思ってしまう。)
ヒダヤットの前に現れたのはランキングも彼よりずっと低い若きインド人プレーヤー、サイ・プラニース(Sai Praneeth)だった。サイを破れば宿敵であり友人でもあるリーチョンウェイとあたる。しかしヒダヤットはその格下相手に敗れた。昨年のピーター・ゲードの引退試合のような華々しさを期待した私も含め多くのヒダヤットファンは、あまりのあっけなさに呆然とした。
かつて多くの人を魅了した天才的なゲームメーカー、繊細なネットプレー、超高速スマッシュ、そしてバックハンド。。。天才であるがゆえにコート上ではやや傲慢な面を持ち、コート外でも暴力行為や女性問題など「問題児」として様々なスキャンダルを抱えていた。その負の面をもってもあまりある魅力をもったスター選手はまさに100年に一人の逸材。その彼の引退はとても寂しい限りである。
オリンピック2000年大会で敗退し、その4年後アテネで金メダルをとったときのヒダヤットの回想インタビュー「そう、俺は泣いたんだ。どうして負けたのか信じられなかった。また4年も待たなければならない。俺はすでに頂点にいるんだ。一番なんだ。それなのになぜ負けたんだ。その後の数日間、ずっと思い続けてる。ただの試合のひとつに過ぎない。誰だって勝つし、誰だって負けるんだ。負けた後、リラックスしたいんだ。狂ったようにパーティをし歌を歌い、あの試合を忘れたい。試合も見たくない。毎日外に繰り出し、あの試合を思い出さないようにしたんだ。でもバドミントンをあきらめようと考えたことはないんだ。なぜなら人生の目標はオリンピックなんだから」
Badminton 2006 Asian Games MS Final [対リンダン]
All England 2010 [対ピーターゲード]
2005 Badminton World Championships MS SF [対リーチョンウェイ]
Taufik Hidayat - Natural Badminton
ヒダヤットが最後の試合で使用したラケット ヨネックス アークセーバー11
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